誰と飲むかで、珈琲は変わる
こんにちは、編集者&フォトグラファーの山崎です。
今日は不思議な珈琲時間についてのお話を!
珈琲は、誰と飲むかで味が変わると思いませんか?
同じ豆を使っても、同じ淹れ方をしても、なんだか違う。
ひとりで飲むときは、珈琲を淹れること自体を楽しみます。
グラインダーの中へ豆をカラカラと入れて、ガーっと挽く。お湯を注いで、粉がふくらむ様子をぼんやり眺める。湯気が香りを纏って立ちのぼってくるのを、そのまま受け取ります。少しだけ丁寧に淹れてみよう、と思えるのも、こういう時間です。

繊細な味の違いも、よくわかる気がします。
酸味がどうとか、甘さがどうとか、言葉にするほどでもないけれど、「今日はおいしいな」とか「少し軽いな」「なんだか苦いな」とか。気候と体調で味が変わったりするなぁとか、そんなことを感じながら飲んでいます。
誰かと一緒に飲むときは、少し違います。
たとえば、友人が遊びに来たときは、珈琲を淹れているあいだも会話は続いていて、タイミングを見ながらお湯を注いだりするので、正直なところ、そこまで丁寧には淹れられません。味も、ひとりのときほど細かくは気にしていない。
それでも、なんだかちゃんとおいしい。

来客のときは、ドリップパックを使うこともあります。
珈琲を淹れることに気を取られるよりも、話している時間のほうを大事にしたいから。少し手を抜いているようでいて、その場にとっては、ベストな選択。
実家に帰ると、また違います。
インスタントコーヒーに砂糖とミルクを入れて、甘いお菓子と一緒に出す。以前、スペシャリティコーヒーの豆を丁寧に挽いて出したのですが、昔ながらの珈琲に慣れ親しんでいる親世代は、あまりそのおいしさは伝わらなかったようで。でも、それでいい。「おいしいね」と言いながら飲むその時間は、父と母にとって最高の珈琲です。
ひとりで飲む珈琲もいいし、誰かと飲む珈琲もいい。
そのとき一緒にいる人や、流れている時間によって、珈琲の役割は少し変わるのだと思います。味をじっくり感じるための一杯もあれば、ただそこにあることで場が整う一杯もある。
そう考えると、珈琲は「味」だけのものではなくて、「時間」というかたちに近いのかもしれません。

namytoneさんの珈琲は、そういう時間の違いに、無理なく寄り添ってくれる気がします。
丁寧に淹れて、自分のために味わう一杯にも、誰かと過ごす時間の中で、さりげなく置いておける一杯にも、どちらにもなじむ。
こう飲むべき、という決まりがないぶん、その日の自分や、一緒にいる人に合わせて選べる余白があります。
今日はひとりで、ゆっくりと自分のために。
今日は誰かと、一緒に過ごす時間を大切に。
どちらの日にも、それぞれの珈琲を。

